高信頼社会は未来を創る

経済安全保障 | 記事URL


コンパクトで持続可能な社会は、備蓄と高信頼がそろってこそ、成し遂げることができる社会なのだ。備蓄は物理経済的な要素であるが、これは単に「節約」をするべきだとか、あるべき論での現象ではなく、実は「自分たちの社会の未来を信じている」から起こせる行動なのだ。それゆえ、備蓄と高信頼社会という要素は実は根源は一つで、どちらも「社会に対する信頼感」が創り出す現象なのだ。

これを踏まえれば、日本が少子高齢社会の後にやってくるコンパクト・持続可能社会をより良い形で実現するためには、高い信頼性を持った社会を持続させなければならない。その根源は何だろうか?互いに信頼できなくなる社会とはどのようなものだろうか?欧米が戦後を通じて追及してきたのは徹底した個人主義・自由主義のパラダイムだった。すべては個として分断され、社会は機械化された。

日本も戦後、欧米と同じように個人主義・自由主義を徹底していった。すべては機械化され、効率的な社会が実現できている。しかし、欧米は互いに信頼できない社会となったが、日本は、一定の危険性があるとしても、安定して信頼した社会が実現できている。その違いは何だろうか?それは日本人が歴史的・文化的に維持してきた柔軟でお互い様の精神が影響しているのかもしれない。個人主義や自由主義というインストレーションは行われた、しかし、そのアプリケーションが動くOSは欧米と日本では全く異なる。

日本が持っている歴史や文化が高信頼社会を可能としているのであれば、そう簡単に崩壊はしないだろう。しかし、これらの要素は簡単に崩壊させられる可能性もある。それは戦後を通じて米国によって、もしかしたら中国や韓国といった反日的性質が強い外国勢力によって行われてきた「メディア戦略」によって、書き換えられている可能性がある。日本はメディアを通じた人間の認知行動を通じた工作についてはあまり重視していない。人間が認知行動によってコントロールされることをあまり深刻に考えていないのである。

もし、日本が高信頼社会を実現できない場合、その原因は日本人が戦後80年にわたって認知してきたメディアによって日本人の思考が書き換えられたことによるところが大きいだろう。

そのような暗黒の未来を見ないためにも、メディアを切り離し、疑う文化を持つことが必要だろう。



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